『ビッグーフイッシュ』という映画では、息子が父親の最期のシーン(臨終の父親の身体を湖に浮かべると、父親は大きな魚になって、湖の中に消えていく)を創作して、臨終の父親にそれを聞かせ、父親は満足そうに息を引き取り、また自分の子供たちにも物語として伝えていくという描写がある。これは決してうそをついているのではない。人生とは最初から最期まで演出の連続。この息子、医者ではないが、いいロスタイムの審判かも。さあ、われわれ医者はどうだろう。たとえば末期ガンの患者さんの場合、ある程度の余命が推測されるので、役割はこの審判に近いような気はする。「あと半年しか生きられません」という言い方はせず、必ず「あと半年は元気に頑張れますよ」という医者がいるそうだ。いいかんじのロスタイム宣言である。だが現実、終末期医療の方が手記を書かれることは非常に多いが、その中で多くの人に感謝の言葉を書いても、医者に対して書くことはあまり見かけない。実は医者はいい審判とはなれていないのか。『ロス・タイム・ライフ』の中でも、主人公が審判に感謝の言葉をかけるのは一話ぐらいしかなかった。名審判でも黒子のような存在。これが医者の宿命か。そういえば、「ホスピス」は、「余命を診断された患者さんに、快適で有意義な生活をおくってもらうためのもの」だから、外出OKのホスピス入院や在宅ホスピスは、まさしくロス・タイム・ライフそのもののはずだ。だが、日本でそれほどみながみな、喜んで受け入れているわけではない。なぜだろう。